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へけもこのコミPo! 作品置き場

本当は怖い「かぐや姫」

かぐや姫」の原作「竹取物語」を Wikipedia で読みなおしてびっくりした 

 

「あの都の人は、とても清らかで美しく、老いることもないのです。もの思いもありません。そのような所へ行くことも、嬉しいとも存じません」「竹取物語」

 

 これはかぐや姫による「月世界人」の説明だよ。「もの思い」というのはどうやら「感情」を指すらしい。つまり月の人々は愛情を知らない冷たい生き物だったんだよ。でもかぐや姫は地上で育てられたので感情を持っている。だから月に帰ることが「嬉しい」とは思えないって言ってるんだ。なにしろ月では喜びの感情も存在しないからね。

ここでかぐや姫は感情を失う予感におびえているよ。けれども月への帰還自体は固定的な運命として描かれていて、彼女に抵抗したり逃げだそうとする態度はうかがえない。月世界人は地上へ美の化身たるかぐや姫をプレゼントしておきながら、婚姻適齢期というまさにその美の絶頂において地上から彼女を奪うんだよ。しかも別離の後、感情を失ったかぐや姫にとって、地上の記憶はもはや何の意味も持たないっていうオマケ付きだよ。

これってかなり残酷だよね?かぐや姫を愛した男たち、育ての親のお爺さん・お婆さん。みんな単なる記憶になって、思い出しても何の気持ちもわいてこないんだよ? 

 

「天人がさっと天の羽衣を着せたので、かぐや姫のこれまで翁を痛ましい、愛しいと思っていたことも消えてしまった。この羽衣を着た人は物思いがなくなってしまうのだったから、かぐや姫は車に乗って昇ってしまった。」「竹取物語」) 

 

人間にとって「感情」はしばしば克服の対象だよ。人前で感情的になるのは無作法だし、感情に流されて義務を怠ったら社会人失格だ。「感情」は理性的な大人に残る不完全な部分なんだよ。

でもこの不完全性こそが人間を人間たらしめる要素でもあるんだよね。なのに、容姿の美を極めたかぐや姫はその仕上げとして羽衣をまとうことで感情をやすやすと捨て去り、まるでリセットボタンを押されたアンドロイドみたいに完全な存在になる・・・つまり人間ではなくなってしまうんだ。

こんな不条理な昔話って他にある? ふつう登場人物たちは別れの後も互いに思い出を分かち合い、慕い合うよね。絵本や映画といった世の中に出回っているいろんな「かぐや姫」のお話だってみんな、かぐや姫の方も別れを惜しみながら泣く泣く月に帰っていったってなってるはずだよ。

かぐや姫は地上のみんなのことはすっかりどうでもよくなり、さっさと月へ帰ってしまいました」なんて・・・なんだか・・・ひどくリアルなんだよ!

古代の説話なのにラストだけ妙に近代文学みたいな味わいなんだ。こんなふうに女性が地上的な愛を「卒業」してより高次の価値に目覚め、凡人にはもはや理解不能な天上的な高みへと登っていくっていうモチーフは文学にはたくさんある(ジッドの「狭き門」とかJ・ティプトリー・ジュニアの「男たちの知らない女」とか…)

月世界人という「宇宙人」が出てくる点をさして「かぐや姫」は世界最古のSFだなんてよく言われるけど、人間とは何かというテーマ性においてこそむしろSFなんじゃないかって気がするよ。